本は目で読むものだと、ずっと思い込んで生きてきた。
紙のページを指でめくり、インクの匂いを嗅ぎながら、活字を目で追う。それが読書という行為のすべてであって、それ以外の方法は邪道だくらいに思っていたのである。ところが最近、そうも言っていられなくなった。「耳で読む」という妙な習慣が、私の生活にするりと入り込んできたのだ。
きっかけは、なんのことはない、貧乏根性である。アマゾンの音楽サービス1におまけでついてくる「オーディブル2」とかいうもので、毎月一冊、無料で本が聴けるという。タダと言われれば、試さないわけにはいかない。
記念すべき一冊目に選んだのは、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫 む 5-10)3』だ。
我が家の本棚には、すでにこの本の文庫版が鎮座している。それも、角がすり切れ、手垢で薄汚れ、帯なんてとっくの昔になくなった、正真正銘の愛読書である。高校生の時に買って以来、何度も読み返してきた相棒だ。それをあえて、耳で聴いてみようと思った。

ご存じの通り、村上さんは走る作家だ。
昔の文豪といえば、酒と煙草で不摂生を極め、命を削って言葉を紡ぐイメージだったが、村上さんは違う。毎日走り、野菜を食べ、早寝早起きをして小説を書く。私の大好きな北方謙三さん4もまた、肉体派である。あちらは葉巻をふかし、ヨットで海を渡る「ヘミングウェイおじさん」といった風情だが、身体を酷使して精神を支えるという意味では、二人はよく似ている。作家というのは案外、体力勝負の商売なのかもしれない。
さて、いざ「耳読書」を始めてみると、これが予想外に悪くない。
なにより朗読を担当しているのが、あの大沢たかおさんである。あの低く、少し乾いた、それでいて透明感のある声が、鼓膜を震わせて直接脳みそに届く。かつて『深夜特急5』というドキュメンタリードラマで見せた、あの独特の佇まいが蘇るようだ。
運転中だろうが、洗濯物をたたんでいようが、大沢さんが私の耳元で、村上さんの文章を囁いてくれる。なんとまあ、贅沢な時間だろう。活字を目で追うのとは違い、言葉が身体の奥にストンと落ちてくる感覚がある。仕事の手が止まったふとした瞬間に、文章の意味がじわりと染み出してくるのだ。
本の中で村上さんは、「小説家に必要なのは、才能の次に集中力と持続力だ」と説く。才能は自分ではどうにもできないけれど、集中力と持続力なら、筋肉と同じで鍛えることができる。なるほど、これには膝を打った。
私にはこれといった才能はないけれど、しつこさだけは誰にも負けない自信がある。ブログを書き続けたり、同じことを延々と繰り返したりするのは、ちっとも苦にならない。才能がないなら、地味に筋トレをして、足腰を鍛えるしかないのだ。
最近、ツイッターで「AI時代に必要なのは、結局のところ体力と根性だ。一日五百回スクワットをせよ」などと呟いてみたのだが、あながち冗談でもない気がしている。世の中がどれだけ便利になっても、最後に物を言うのは、やっぱりフィジカルな強さなのだ。とほほ、と言いたくなるけれど、それが現実である。
「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由は、大型トラック一杯分はある」
大沢さんの声で聴くその言葉は、紙で読んだ時よりもずっと深く、心に響いた。やめる理由なんて、探せばいくらでも転がっている。今日は雨だから、忙しいから、気分が乗らないから。そんなトラック一杯の言い訳を横目に、私は今日もほんの少しの「続ける理由」を磨くのだ。
耳で聴いて、家でまたボロボロの文庫本を開く。目と耳、両方から春樹さん(と大沢さん)を摂取する日々は、当分の間、私の新しい習慣になりそうである。
さて、今日も今日とて、地味にスクワットでもするとしようか。
- Amazon Music Unlimited ↩︎
- Amazon Audible ↩︎
- 走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫 む 5-10) ↩︎
- 七冊の重みと、毎年の儀式(北方謙三『史記 武帝紀』について) ↩︎
- 劇的紀行 深夜特急 [DVD](出演:大沢たかお・松嶋菜々子) ↩︎
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