いきなりブーンという低いエンジン音が響いて、穏やかじゃない幕開けである。

助手席の女の人はカンカンだ。「あなた何考えてるの、これは誘拐よ」とわめき散らしているのに、ハンドルを握る男の人は「もう構うもんか」とばかりにアクセルを踏み込む。そんな強引すぎる男と、連れ去られる女の会話から始まる一曲がある。

先日、ブックオフオンラインで古CDをまとめて買った。音楽好きの間では、こうやって埋もれた音源を掘り起こすことを「ディグる」と言うらしい。かっこいい言い方だが、私の場合はワゴンセールを漁っているだけなので、なんだか申し訳ない気もする。

とくに探していたわけではないけれど、なんとなくDJ動画を見ていたら、耳にひっかかって離れない曲があったのだ。巻き戻して確認すると、B’zのアルバム『IN THE LIFE1』の五曲目、「Crazy Rendezvous」だった。発売されたのは一九九一年。私が一九九三年生まれだから、生まれる二年ほど前の作品ということになる。私にとってこのアルバムは、音楽というより、もはや「時代そのものが詰まった箱」のようなものだ。

それにしても、冒頭の歌詞のインパクトはすごい。

助手席で怒り狂う女と、強引な男。今の世の中の倫理観で照らし合わせれば、「即アウト」になりかねない案件である。けれど、当時のJポップはもっと自由で、恋愛の温度も生々しさも、すべてが物語として許されていたのだろう。たった数行のやり取りだけで、深夜の大黒埠頭の匂いまで漂ってくるようだ。

歌詞の物語はさらに続く。

車は横浜へ。さっきまで怒っていた彼女も、横浜の街並みを見て少し落ち着いてきたらしい。そこで男が呑気なことを言うのだ。「すっぴんもかわいいけど、もしかして呆れてる?」とかなんとか。ここで私はハッとした。すっぴんということは、彼女はお風呂に入って、「さて、寝ようかしら」とくつろいでいたところを、無理やり車に押し込まれたということではないか。そりゃあ怒るに決まっている。

私の故郷は川崎で、まあ言ってみればドブのような街だけれど、お隣の横浜はおしゃれな港町だ。そんな場所へ、寝る前の無防備な顔のまま連れて行かれるなんて、悪夢以外のなにものでもない。こんなリアルな、というか、その場の空気感まで浮かんでくるような歌詞を書けるなんて、稲葉浩志という人は本当に才能の塊だと思う。ただし、これが稲葉浩志だから許されるのであって、うちの夫がやったらグーパンチだ。間違いない。

このアルバムを聴いていると、当時の音作りの厚みや、歌詞の緻密さがひしひしと伝わってくる。マニピュレーターの明石昌夫さんが関わっていた時期特有の、あの「デジロック」とも呼べるような質感。今の洗練されたアメリカンロック寄りのサウンドも素敵だけれど、この頃の音には、「整理された混沌」とでも言うような、独特の勢いがある。

『太陽のKomachi Angel』も『恋心』もそうだが、自分が生まれる前の曲なのに、なぜだか妙にしっくりくる。昔の音楽には「物語の語り手」がちゃんといて、主人公がいて、最後には必ずどこかへ着地する安心感があったからかもしれない。歌詞がただの言葉の羅列ではなく、物語の一部として機能しているのだ。

ちなみにこのアルバム、ブックオフオンラインで三百三十円だった。物の価値は市場が決めるものだし、私もその値段で買ったわけだけれど、本音を言えば三千円で買って、アーティスト本人に還元したい気持ちもある。三百三十円では、伊達巻も買えないではないか。とはいえ、三百三十円だからこそ気軽にポチッとして、こうして新しいファンが生まれるという循環もあるわけで、なんとも複雑なところだ。まあ、この三百三十円で巡ってきた縁に感謝することにしよう。

二〇二五年になってから新調したCDプレイヤーに、銀色の円盤をセットする。

やっぱり、フィジカルは音が良い。サブスクの手軽さもいいけれど、CDで聴くと音の輪郭がくっきりとして、空気の振動まで伝わってくるようだ。私はiPod shuffleが最初の音楽プレイヤーだった世代だけれど、大人になってから逆にCDへ戻ってきた。この逆流現象そのものが、なんだかひとつの物語みたいだなと思う。三百三十円だろうと三千円だろうと、良い音楽は手にした人の生活に静かに入り込んでくる。とりあえず今夜は、このちょっと危険なドライブの歌を聴きながら、すっぴんで部屋にいる平和を噛みしめるとしようか。

  1. B’z / IN THE LIFEをメルカリでチェック ↩︎

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