世の中が便利になりすぎるというのも、考えものだ。

指先一つで、世界中の音楽が聴き放題。私もご多分に漏れず、アマゾンなんとかの音楽配信サービスを使っている。これがまた、未知の曲を探すときなんかには、魔法の道具のように便利なのだ。ユーチューブでふと耳にした、「おや?」と思う曲を検索すれば、すぐに出てくる。

けれど、この「便利さ」というやつは、どうも人をせっかちにするらしい。気づけば私は、画面に並ぶ膨大な曲のリストを前に、次から次へとツマミ食いをするような聴き方になっていた。ヒット曲の美味しいところだけを齧って、また次へ。無限に選択肢があるせいで、逆に何を選んでいいのかわからなくなり、選ぶこと自体に疲れてしまう。これを「ザッピング疲れ」というらしいが、なんとまあ、贅沢な疲労である。

そんなわけで、私は近ごろ、時代に逆行するようにCDへ戻ってきた。

きっかけは、中華系のメーカーから出ている、ポータブルCDプレーヤーを買ったことだ。今の時代、CDを聴くといっても、そもそも再生する機械がない。あったとしても、配線がどうの、置き場所がどうのと、聴くまでのハードルが妙に高いのだ。

私が手に入れた『FIIO DM131』とかいうメーカーのそれは、バッテリー内蔵で、コードの呪縛から解き放たれている。しかも、ふたの部分が透明で、中のディスクがグルグルと回っているのが丸見えなのだ。これが、思いのほかよかった。机の上でも、枕元でも、ポンと置いてボタンを押すだけでいい。円盤が回る様子をぼんやり眺めていると、なんだか急激に「音楽を聴いている」という実感が湧いてくるから不思議だ。

ハードウェアが揃えば、次はソフトである。

私は、いそいそとブックオフへ通うようになった。狙いは、いわゆる「平成のポップス」だ。ビーイング系に、小室ファミリー。B’zやZARD、globeにTRF。あの頃、街中で飽きるほど流れていた音楽たちが、棚の端っこで百円や五百円の値札をつけられ、じっと私を待っている。サブスクリプションの海では埋もれてしまいがちなそれらを、百円玉一枚で救出する。この「百円」というのが、今の私にはちょうどいい。

家に持ち帰り、透明なケースから歌詞カードを取り出す。紙の匂いがする。それをパラパラとめくりながら、アルバムを最初から順に流していく。一曲目から最後まで、アーティストが考え抜いた曲順という「物語」に身を任せる。そこには、派手なヒット曲だけでなく、地味ながらもいい仕事をする名脇役のような曲も潜んでいる。歌詞カードを目で追いながら、一時間、じっくりと耳を傾ける。スマホを置いて、ただ音楽と向き合う。これだけのことが、今の時代にはひどく贅沢な時間に思えるのだ。

音質がどうこうという論争には、私は参加するつもりはない。サブスクの方が音が綺麗だという人もいれば、CDの方が厚みがあるという人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。

ただ、私の場合は、CDの方がしっくりくる。一曲一曲を「データ」としてではなく、体温のある「作品」として受け取っている気がするのだ。百円で買ったアルバム一枚で、懐かしい記憶が蘇り、乾いた生活に少しだけ潤いが戻る。歌詞カードを眺め、回る円盤を見つめる一時間。

安上がりなタイムマシーンに乗って、私は今日も、平成の思い出の中をグルグルと回っているのである。

  1. FIIO DM13(エミライ:公式代理店) ↩︎

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