なんだか最近、ものを調べるという行為が、すっかり億劫になってしまった。

ほんの数年前までは、何か気になることがあれば、すぐにあの四角い枠に言葉を打ち込んでいたというのに。たとえば、新しく出たお菓子の評判だとか、読み終わったばかりの小説の作者の、他の作品はどんなものがあるかしら、とか。そういう、日々のささやかな好奇心を満たすために、私たちは律儀に検索を繰り返していたわけだ。

それが、どうも最近は勝手が違う。

検索をすれば、やたらと派手な広告が目に飛び込んできたり、どのサイトを開いても同じようなことばかり書いてあったり。そのうち、「LLMO対策」だなんていう、ますます小難しい言葉まで聞こえてくる始末である。

みんな、そんなに検索結果の一番上に出てきたいものなのかしら。なんだか、そういう世の中のせわしなさに、少しばかり疲れてしまったのかもしれない。私たちが知りたいのは、アルゴリズムに好かれた答えではなくて、もうすこし静かで、正直な言葉だったはずなのに。

そんなことをつらつらと考えていたある日のことだ。私は、がらんとした白い画面と向き合うようになった。ChatGPTという、例のあれである。最初は、流行りものだと敬遠していたのだけれど、これが意外と、私の性に合っていたらしい。

ここには、「プロジェクト」という機能がある。なんだか大袈裟な名前だけれど、要するに、自分だけの専用の部屋みたいなものだ。そして、その部屋には、私のために働く、とても優秀な情報分析官をひとり、常駐させておくことができる。

その分析官に、私は一度だけ、丁寧にお願いをしておくのだ。「これから私が何か調べものを頼んだら、良い意見と悪い意見をきちんと分けて、冷静に、客観的に報告してくださいね。個人の思い込みが強そうなブログみたいなのは、なるべく避けてちょうだいね」と。こうして一枚、きちんとした「お願いごと」を書いて部屋に貼っておけば、あとはもう、私が席に着いて「新しいワイヤレスイヤホンについて、世間の評判を教えて」と声をかけるだけ。

すると彼女は、文句も言わずに、インターネットの海から必要な情報だけをすくい上げ、それは見事に整理してくれるのだ。

「肯定的なご意見はこちらです」

「懸念されている点はこちらになります」

と、項目ごとに箇条書きでまとめてくれる。まるで、デパートの中を無駄に歩き回ることなく、ベテランの店員さんが「お客様には、こちらがよろしいかと」と、的確な品々を目の前に並べてくれるような快適さだ。

おまけに彼女は、「この点については、まだ情報が少ないようです」なんて、正直なことまで教えてくれる。知ったかぶりをしないその姿勢が、またいいじゃないか、と思う。

どうして、情報の奔流に身を任せるような検索よりも、こちらの方法が心地よいのか。それはきっと、私が情報をただ「受け取る」のではなく、静かな対話の中で「吟味する」時間を持てるからなのだろう。

次から次へと流れてくる情報に急かされることなく、私の小さな書斎で、優秀な分析官の報告に耳を傾ける。そして、「ふむ、なるほど」と、自分のペースでゆっくりと考える。もちろん、彼女の報告がいつも完璧なわけではないから、時には「その話は、どこの情報なの?」と尋ね返すこともある。そのやりとりも含めて、なんだか私には、しっくりくるのだ。

世の中は、きっとこれからも、どんどん賢くなっていくのだろう。私たちが何かを尋ねる前に、答えが差し出されるような時代が来るのかもしれない。でも、たったひとつの「正解」をぽんと渡されるより、答えにたどり着くまでの、この静かな思索の時間こそが、本当は大切だったりするのではないか。

さて、と。今日も私は、私の書斎のドアを開ける。熟練の分析官と一緒に、言葉の海へ、今日の旅に出かけるのである。

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