いつからか、私の暮らしのまわりには、やたらと四角い箱が増えるようになった。

大きさも色もまちまちで、人が一人くらい座れそうな大きなものから、お弁当箱ほどの可愛らしいものまで。

来客はたいてい、「これ、何?」と不思議そうな顔をする。無理もない。ただの箱にしか見えないのだから。パソコンのことはからきし駄目で、スマホだって一度買ったら何年も同じものを使い続けるような私が、こういう機械のようなものに囲まれて暮らしているのは、自分でも少しおかしいと思う。

そもそもの始まりは、もうずいぶん前の、あの三月のことだった。

愛犬といつもの道をのんびり歩いていたら、突然、立っていられなくなった。何が起きたのかわからず、ただ、世界がぐらぐらと揺れていた。幸い、怪我はなかったけれど、電気が止まった。夜、父の帰りを待っていた駐車場は真っ暗で、車のエンジンだけが頼りだった。

三月とはいえ、夜はまだ凍えるように寒い。毛布にくるまり、ひざの上の犬を抱きしめながら、ただただ心細かったのを覚えている。情報も、暖も、明かりもない。社会から、ぽつんと切り離されてしまったような、あの途方もない不安。

そんな記憶も少し薄れかけた数年後、私は例の「四角い箱」に初めて出会ったのだ。「ポータブル電源」という、なんだか難しそうな名前だった。試しに、家にあった電気毛布の線をつないでみたら、じんわりと、温かくなった。たったそれだけのことなのに、魔法みたいだ、と思った。あの夜、車のシートで冷たい手をこすり合わせていた私に、この温かさを届けてやれたなら。そう思ったら、なんだかたまらなくなった。

この感動を誰かに伝えなくては。その一心で、日夜、この箱と格闘する日々が始まった。車中泊に持ち出せば、その便利さにすっかり夢中になり、しかし「この機械は使えるのに、こっちはうんともすんとも言わない」という事態にも出くわす。どうしてなのか。何が違うのか。気になりだすと、とことん突き詰めないと気が済まないのが、私の少々やっかいな性分らしい。

しまいには、太陽の光で電気が作れるという板(ソーラーパネル、というらしい)まで手に入れた。停電していても、お日様さえ出ていれば、この板と箱が電気を生み出してくれる。当たり前のようでいて、とんでもないことだ。この、ちょっとした感動が、私をこの道に引きずり込んだのだから、人生はわからない。

ただ、ひとつだけ、どうしても譲れないことがある。それは「安全」ということだ。便利な魔法の箱も、一歩間違えれば家を燃やす火事の原因になりかねない。そうなったら、元も子もないではないか。「安くて良い」という言葉は魅力的だけれど、人の暮らしを危険に晒すものだけは、絶対に勧めるわけにはいかない。そこだけは、妙に頑固なのだ。

私が夢見るのは、大げさなことではない。停電が起きても、「あら、またか」なんて言いながら、お茶の一杯でも飲めるくらいの余裕が、どこの家にもあるような世の中だ。災害はなくせないけれど、あの日の私のような、寒くて心細い思いをする人が、一人でも減ったらいい。大切な家族を、自分の力で少しでも守れるような知恵が、もっと広まればいい。

そんなわけで、この箱にまつわる話を、これから、つらつらと書いていこうと思う。難しいスペックの話は専門のブログに任せるとして、ここでは、この四角い箱が私の毎日にどんな可笑しみや安心をくれたのか、そんなおしゃべりをする場所にしたいのだ。

防災、防災と言いながら、備蓄しておいた美味しい缶詰を、ついつい夕飯のおかずにしてしまうような私である。そんな、どこかしまらない人間が書くものだけれど、もしよかったら、お茶でも飲むような気持ちで、ときどき覗きに来ていただけると、嬉しいです。

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