たまには昔の映画でも観ようかと、お茶をすすりながら選んだのが二〇〇九年の『クロッシング』という作品である。
原題は『Brooklyn’s Finest』というらしいのだが、どうして日本に入ってくると、こうもタイトルが変わってしまうのだろう。まあ、そんなボヤキはさておき、監督はアントワーン・フークア。『トレーニング デイ』なんかを撮った人で、要するに男臭くて骨太な映画を作るのが得意な監督だ。
主演は、リチャード・ギアにドン・チードル、それからイーサン・ホーク。なかなかの顔ぶれではないか。
わたしは昔から、イーサン・ホークという俳優が好きだ。どこか影があって、いつも何かに思い悩んでいるような、あの眉間のしわに惹かれるのかもしれない。そしてこの映画の彼は、期待を裏切らないどころか、期待をはるかに上回る「ヨレヨレ」っぷりを見せてくれるのだ。
物語は、三人の警察官それぞれの、どうにもならない日常を描いていく。
家族のためにお金が必要で悪いことに手を染める者、危険な潜入捜査に疲れ果てている者、そして定年を間近に控え、すべてに嫌気がさしている者。彼らは同じ街で、同じ時間を生きているというのに、お互いの人生が交わることはほとんどない。ただ、どうしようもない現実だけが、重くのしかかっている。
いわゆるハリウッド映画なのだから、最後にはきっと、派手な銃撃戦の末に悪が滅び、正義が勝つ。普通の映画ならそうだろう。ところがこの映画は、観ているこちらの気持ちがどんどん暗くなっていく。なにせ、登場人物の誰一人として、いわゆる「良い人」がいない。みんな、生活に疲れ、心はささくれ立ち、正しいことなんて、もうどうでもよくなってしまっている。その姿は、ヒーローとは程遠い、ただの人間そのものなのだ。
特に、イーサン・ホーク演じる刑事の、あの「ダメ人間」っぷりは見事としか言いようがない。
格好いいはずなのに、着ているシャツはいつもよれっとしている。正しいことをしたいと願っているはずなのに、やることなすこと、すべてが裏目に出る。その姿を見ていると、「ああ、人生って、こういうどうにもならないことの連続だよな」と、妙に納得してしまうのである。
観終わったあと、爽快感などかけらもない。むしろ、どんよりとした重たい気持ちが残る。救いもなければ、希望もない。ただ、生々しい痛みと、人間のどうしようもない弱さがそこにあるだけだ。
けれど、不思議なことに、わたしはこの映画がたまらなく好きなのである。
スーパーマンなんてどこにもいないし、人生はいつだってままならない。それでも、人は生きていかなくてはならないのだ。この映画は、正しい道なんてどこにもないけれど、それでも人は、よりマシな方を選ぼうともがき続けるしかないのだと、静かに語りかけてくるような気がする。
それにしても、ダメな男を演じるイーサン・ホークは、どうしてあんなに輝いて見えるのだろうか。
そんなことを考えながら、ぬるくなったお茶を飲み干した。

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