デスクに置いてある、安物のデジタル時計には、日付と時刻のほかに、気温と湿度が表示されるようになっている。ここのところ、私の肌はカサカサで、指先なんてささくれだらけだというのに、その時計はすました顔で「湿度五〇%」なんて数字をたたき出している。
「五〇%? 半分じゃないの。十分潤ってるはずでしょう」
私はハンドクリームを塗り込みながら、時計に向かって文句を言った。夏場に五〇%といったら、そこそこジメッとしていて不快なはずだ。なのに、冬の五〇%はどうしてこうも頼りないのか。私の肌が老化して、水分を保持できなくなっているせいだとでも言うのだろうか。それも半分はあるかもしれないが、どうやらそれだけではないらしい。
なんでも、空気というのは気温によって「水を入れておけるバケツ」の大きさが変わるのだという。
夏のような暑い空気は、寸胴鍋のような巨大なバケツを持っている。だから五〇%といっても、たっぷりの水が入っている状態だ。ところが、冬の冷え切った空気というのは、お猪口(ちょこ)くらいの小さなバケツしか持てないらしい。
つまり、同じ「五〇%」という表示でも、寸胴鍋の半分とお猪口の半分では、水の量が天と地ほど違うのである。「なんということだ。騙された」私は愕然とした。冬の間、湿度が五〇%あるからといって安心していたのは、お猪口半分の水を見て「ああ、潤沢だ」と喜んでいたようなものだったのだ。そりゃあ、肌も干し椎茸みたいになるわけである。
そもそも、気温によってコロコロと基準が変わる「湿度(%)」なんていう曖昧なものを、なぜ世間はありがたがって使うのだろう。これは欠陥品ではないのか。
そう憤慨しかけたが、どうやらこの「%」こと相対湿度は、洗濯物が乾くかどうか、あるいは人間が汗をかけるかどうかを知るためには役に立つらしい。洗濯物にとっては、バケツの大きさなんてどうでもよくて、あとどれくらい水が入る余地があるかが重要なのだ。なるほど、生活の指標としては正しい。けれど、私の肌が求めているのは「乾きやすさ」ではなく、シンプルに「水分の量」なのだ。
本気で潤いを知りたければ、「絶対湿度」という、空気中に何グラムの水があるかを示す数字を見なければならないという。あるいは天気予報の「露点」をチェックしろと。潤いを知るために、わざわざ「露点」なんていう理科の実験めいた言葉を検索しなきゃいけないなんて、世の中はつくづく不親切にできている。
そう考えると、極寒の地や豪雪地帯の仕組みも腑に落ちてくる。マイナス二十度の世界では、空気のバケツはお猪口どころか、ペットボトルのキャップくらいのサイズになってしまうのだろう。そこには水なんてほとんど存在できないから、超乾燥状態になる。
逆に、ニュースでよく見る酸ヶ湯(すかゆ)のような豪雪地帯は、海でたっぷりと水を吸い込んだ空気が山にぶつかって冷やされ、バケツが縮んでしまった結果、溢れ出した水が雪となって落ちてきているわけだ。言ってみれば、湿度がMAXでバケツから水がドボドボこぼれている状態である。
仕組みはわかった。わかったけれど、我が家のリビングの乾燥が解決したわけではない。
私はデジタルの「五〇%」という数字を、もはや信用しないことに決めた。あいつは「お猪口の半分ですよ」と言っているに過ぎないのだ。絶対湿度計を買うのも癪だから、とりあえずヤカンでお湯を沸かし、その湯気を浴びることにする。お猪口サイズのバケツなら、これだけですぐに満タンになるはずだ。
ピーッとヤカンが鳴いた。科学的な数字よりも、目の前の湯気の方がよっぽど肌に優しそうである。
※アイキャッチのヤカンは12年使っているアウトドアギア(キャプテンスタッグ製)。
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