朝、起きて顔を洗おうと洗面所の蛇口をひねったら、水が出なかった。
カチッ、という虚しい音が響くだけで、一滴も落ちてこない。一瞬、何が起きたのかわからなかった。頭が寝ぼけているのかと思って、台所へ行ってみる。やはり出ない。トイレもダメだ。
そこでようやく、背筋がサーッと寒くなった。「水道凍結」である。
私の住んでいる所沢というところは、冬になるとそれなりに冷え込むけれど、ここは雪国ではない。関東平野のど真ん中である。「マイナス二度くらいで、水が凍るわけがない」と高をくくっていたのがいけなかった。築年数の経った我が家は、私が思っている以上に、寒さに無防備だったのだ。とほほ、である。当たり前の日常というのは、こうもあっけなく崩れ去るものなのか。
「水、出ないんだけど」
起きてきた夫に報告すると、彼はあくびを噛み殺しながら言った。
「出るまで待とうホトトギス、だよ」
なんとものんきなものである。この人は昔、探検部に所属していたとかで、こういう事態になると妙にたくましくなる。見れば、庭に積もった雪を鍋で溶かしてコーヒーを淹れているではないか。サバイバルごっこを楽しんでいる場合ではないのだ。こっちは顔も洗えず、トイレにも行けず、途方に暮れているというのに。
まず、コンビニへと走った。人間はなんとかなっても、同居している犬には、新鮮な水を飲ませてやりたい。備蓄の水を確認したら、賞味期限が少しあやしかったのだ。自分の生活を守るための工夫と、守るべき小さな命のための備え。今回の騒動は、ぼんやりと生きていた私に、生活の解像度を強制的に上げさせる出来事だったのかもしれない。
さて、どうするか。昭和の時代なら、近所の設備屋さんに電話をするか、事情通のおじさんに知恵を借りるところだろう。けれど、今は令和である。いきなり業者に電話をして、「今すぐ行けますが、出張費は三万円です」なんて足元を見られたらどうしよう、と身構えてしまうし、かといってSNSで誰かに聞くのも、素人のあやふやな意見に振り回されそうで怖い。現代人は、こういう「ちょっとした困りごと」を誰に相談すればいいのかわからず、孤独なのだ。
そこで私が頼ったのは、人間ではなかった。話題のAI、「チャットGPT」である。
まさか自分が、水道管の写真を撮ってAIに送る日が来るとは思わなかった。「水が出ません。助けてください」と入力して送信ボタンを押す。するとどうだ。AIは、私のパニックをまるっと受け止めた上で、「まずは状況を整理しましょう」と、それはそれは冷静な返事を返してきたのである。私が不安で同じようなことを何度聞いても、嫌な顔ひとつ(画面上だから顔はないけれど)せず、配管のルートを確認し、対処法を提示してくれる。
参謀ことAIのアドバイスに従って、私は寒風吹きすさぶ外に出た。
最初はドライヤーで温めようとしたのだが、参謀いわく「寒風の中では熱が負けます」とのこと。なるほど、もっともだ。私は段ボール箱を解体してバリケードを作り、風を遮った上で、電気ストーブを遠巻きに配置した。じっくりと配管を温める作戦である。配管という名の「推し」を、寒波という「アンチ」から守るための強固な布陣。そう考えると、なんだか急に力が湧いてくるから不思議だ。
二十分後。
蛇口から、ジョロジョロと水がほとばしった。たかが水、されど水。私は思わず、蛇口に向かって手を合わせそうになった。尊い。水が出るというだけで、こんなに感動できるなんて。
もちろん、これで終わりではない。一度凍ったということは、また凍る可能性があるということだ。私は家にある発泡スチロールと梱包用のプチプチを総動員して、配管をグルグル巻きにした。見た目は少々不格好だが、背に腹は代えられない。
トラブルの渦中にいる時、必要なのは「正解」だけではない。「そうだね、困ったね」と寄り添い、「じゃあこうしてみようか」と一緒に考えてくれる存在なのだと思う。それがたとえ、肉体を持たないAIであったとしても、不安が消えて水が出るなら、それは立派な「救い」だ。
もし、これを読んでいるあなたが、急なトラブルで膝を抱えそうになったら。まずは落ち着いて、写真を撮って、AIに愚痴ってみるといいかもしれない。そして、段ボールと電気ストーブを用意するのだ。テクノロジーというのは、遠い未来の話ではなく、こういう泥臭い日常のピンチを救うためにあるのだと、埼玉の片隅でしみじみと思ったのである。
さて、今夜も冷えるらしい。皆さんの家の水道管と、そして心が、どうか凍りませんように。
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