なんだかこの頃、どうも調子がよろしくない。
台所で、淹れたてのほうじ茶をすすりながら、パソコンの画面をぼんやりと眺める。自分で言うのもなんだけれど、それなりに時間をかけて、コトコトと手間ひまかけて煮込んだ「とっておきの煮物」のような記事がある。
具材もあれこれ吟味して、味付けだって何度もやり直した自信作。以前は、「待ってました」とばかりにたくさんの人がお箸をつけてくれたものなのに、この頃はどうも人気がない。お膳の前に人は集まってくれるのに、肝心の煮物にはちらりと目をやるだけで、お椀に手を伸ばしてはくれないのだ。
「ブログは、もう終わりなのかしらねぇ」。
そんな弱気な声が、どこからともなく聞こえてくる。せっかく作ったのにな、と溜息の一つもつきたくなる。
昔は、とにかく具だくさんで、一つの鍋にあれもこれもと詰め込んだものが喜ばれた。肉も野菜も、こんにゃくまで入った大盤振る舞い。それが「心のこもったおもてなし」だと信じて疑わなかった。
ところが、どうやら時代は変わったらしい。今の人たちは、大きな鍋から自分の好きなものを探すより、小鉢にちょこんと盛られた「これです」という一品を求めているのだという。おまけに、最近では「AI」とかいう、なんとも賢いお隣さんが、「あそこの煮物は、大根と鶏肉が美味しいわよ」なんて要約を先に教えてくれるものだから、ますます私の大鍋は出番を失っていく。
どうしたものか。いっそ店じまいかしら、なんて考えが頭をよぎったその時、ふと思ったのだ。
そうだ、小分けにしてみよう。
大きな鍋で一つだった煮物を、思い切って分けてみることにしたのだ。たとえば、「鶏肉だけの照り焼き風」とか、「里芋の煮っころがし」とか、「人参のグラッセ」というように。一つの記事に一つの主題、である。そう決めたら、なんだかすべきことが見えてきた。
この作業、一人では途方に暮れてしまうけれど、幸いなことに私には例の「AI」という、少々おせっかいだけれど気の利く助手がいる。
「この煮物、どうやって分けたらお客さんに喜ばれるかしら」と相談すると、「それでしたら、お肉好きの方にはこちらを」「お野菜だけを味わいたい方には、この組み合わせはいかがでしょう」と、てきぱきと献立の案を出してくれる。これがまた、なかなかどうして的確なのだ。おかげで、途方に暮れていた台所仕事も、なんだか新しい料理に挑戦するような気分で、少し楽しくなってきた。
考えてみれば、キーワードだとか順位だとか、そういうことで一喜一憂するのも、もう疲れたのかもしれない。それよりも、たとえ小さなお店でも、「あそこのお惣菜は、なんだかほっとする味なのよ」と覚えてもらうことの方が、ずっと大事な気がする。
ブログという名の自分のお店を本拠地にしながらも、時には店先で手書きの看板を出したり、ご近所に「新しいお惣菜、できました」と顔を出したりする。そうやって、少しずつ私の作るものの「ファン」になってもらう。そういう地道なことの積み重ねが、結局は一番の近道なのかもしれない。
パソコンの画面に並んだ、小分けにされた記事の数々を眺める。アクセス数が減ったからといって、私の煮物の味が落ちたわけではない。ただ、世の中の「おいしい」の形が、少し変わっただけなのだ。
そう思うと、なんだか肩の荷がふっと軽くなった。
さて、次は何を煮込もうかしら。
この変化も、存外悪いものではないな、なんて思いながら、私はまた新しいお品書きを考え始めるのである。
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